ABOUT SHINAGAWA-SHUKU品川宿について

サイト開設に際し、ちょっと走り書き
東海道品川宿のあれこれ

徳川家康は、関ケ原の戦いに勝利すると、国を治める物流の根幹として1601(慶長六)年、宿駅制度の整備に着手しました。江戸と京・大坂を結ぶ東海道は政治的にも経済的にも大幹線ルートでした。そして、東海道最初の宿場となったのが、このポータルサイトの舞台となる「品川宿」です。
「一番目の宿場」とか、「親宿」とか、「首駅」などと形容されることもありますが、東海道も品川宿もこの時にでき上がったものではなく、時代の進展する中で徐々に整備・拡充されています。

<街道・宿場の整備と役割>

1601年には50弱ぐらいの宿場でスタートしたとも言われていますが、京都までの五十三宿は、川崎宿につづき、庄野宿が整備された1624年に出そろいました。最初、半自主的に行われていた各地大名の江戸通いは、武家諸法度により参勤交代が定式化されます。
幕府関係の公用旅には、無償で提供されていた東海道各宿場の御抱え人馬も36人36疋から100人100疋へと増えています。人馬を差配する「問屋場」も設置され、より厳正に重量チェックをするために「貫目改所」も追加で整備されています。
最初、大旅籠を利用していた幕府関係者や大名などの宿泊のため、本陣、脇本陣も整備され、幕府関係の公用分書・手紙や小包みを運ぶ御状送りも宿場における重要な仕事でした。

<品川宿の変遷>

品川宿は、目黒川をはさんで、北品川と南品川の両宿でスタートしました。その後、歩行新宿が加宿されます。門前町が寺社奉行から江戸町奉行管理に移行したり、たびたびの火事や災害で問屋場や本陣・脇本陣も建替えられたり、交代したりと、様々な変遷のなかで宿場の役割を果たしてきています。
火事で燃えてしまったものも多く、品川宿の歴史をより深く知るために掘り起こすべき課題も多いように思っています。

走り書きとして簡単な「品川宿」のことを記してみましたが、その中でも初めて耳にするような宿場ならではのキーワードがあったことと思います。
 これから少しずつ品川宿や東海道にまつわる「当たり前だけどもっと知りたい話」や「最近新しく分かった話」など、様々な切り口(テーマ)と雑話とで、楽しく紹介していきたいと考えています。
「品川宿のこんな話を知りたい」「こんな話を聞いたけど真偽について解明してほしい」といったことがあれば、是非とも要望、意見をお寄せください。
(文:街道歩き相談承り処・田中義巳)

「江戸名所図会」二ノ四 品川驛 「江戸名所図会」二ノ四 品川驛